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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 自虐史観の枷を解く(2) ―――――――――――― 2003/12/05
┌──────────「 NOGU さんの反論(2)」
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│・多くの反戦義士が獄中にいたことをご存じないようですね。
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―――― いまだに東京裁判史観に呪縛されている人たちに贈ります。
国家が成立すれば統治者はその秩序制度を守ろうとし、それに反抗する勢力が
生まれます。これは必ず起こることで、古代から人類社会はそれを繰り返して
きました。
共産党の暴力革命から国家を守るために、狂信的な共産主義者やアナーキスト
を拘束したのはやむを得ない処置だったのではないでしょうか。
―――― 先ず、なぜ共産主義が日本国民一般の支持を得られなかったか。
Propagandaの故もあるでしょうが、それよりも、ソ連の指示を受けて「天皇制
廃止」のスローガンを掲げる日本共産党に、国民は非常な恐怖心を懐いたので
す。
1918年、ソ連共産党がやった「君主制の廃止」なるものは、まことに残忍
極まるものでありました。ロシア革命において、ロマノフ王朝の王族が、愛馬
に至るまで悉く惨殺されたことは日本でも広く知られていました。
共産主義者が「被搾取階級」と称していた労働者たちほど、素直に皇室を敬愛
していました。例えば東北の、どんな貧農の家にも天皇・皇后の写真が飾られ
ていました。純真・素朴な一般の人々は、暴力革命を志向する共産主義の実態
に恐怖を感じたのです。
人種偏見なきナチズムが考えられないように、暴力や大量殺人のない共産主義
など有り得ないからです。それは、共産革命が起きた国々のことを考えてみれ
ば直ちに理解できることです。
ソ連では、ロシア革命でロマノフ王朝の一族が惨殺され、さらにスターリンの
統治下では数百万もの人々が粛清されたり、シベリアの強制収容所に送られた
りしました。
戦後になってスターリンの残虐行為が明らかになったとき、日本の進歩的文化
人たちの中には、「あれは共産主義のせいではなく、スターリン個人の資質の
問題である」とか、「ロシア人の民族性ゆえに起こった悲劇だ」というような
弁護論を展開した人もいた。
しかし、それが大きな間違いであるのは、毛沢東の中国革命、更に文化大革命
などでも同じような大量殺人が起こったことをみれば、ただちにわかることで
しょう。
このとき、中国で犠牲になった人は数百万という説もあれば、1千万人を超え
るという説もあります。ーーこれはベトナムでも同じです。
ベトナム戦争が終わって、南ベトナムが“解放”された後に待っていたものは
恐るべき大虐殺でした。それから逃れるために百万を超えるベトナム人が難民
となって海へと脱出していったのです。
さらにカンボジアでも、ポル・ポト派によって大量虐殺が行われました。
今でもその詳細は分かっていませんが、およそ一国で行われた粛清でなら史上
最悪の高率で国民が殺されたといわれています。
そして北朝鮮で、今日でも同様のことが行われているのは周知の事実です。
こうしたことから解るように、およそ共産革命と名のつくもので組織的な暴力
や虐殺と無縁だった例はなく、革命は常に大量の血を欲するものなのです。
―――― 僕の知り合いで、
“治安維持法”によって昭和十七年に捕らえられ、二年あまり未決のまま拘留
された人がいます。彼は全くの冤罪でしたが、多少左翼的な傾向があったのは
事実ですが、青年会で「天皇制を批判した」、と密告されました。
彼のように、当時、共産主義とは全く関係がないのにも係わらず、治安維持法
で逮捕された人は数え切れません。その中には、取調べ中の拷問によって無罪
なのに罪を認めてしまった人もいるし、命を失ってしまった人も幾人かいる。
共産主義の排除という目的のために“治安維持法”がひどい運用のされ方をし
たのは間違いありません。しかしそれでも指摘しておきたいと思うのは「治安
維持法」によって死刑を宣告された者が一人もいなかったという事実です。
終戦後、この知り合いと或る会合で会った時、
「過酷な取調べを受けている間に、よく無実でも罪を認めてしまいませんでし
たね」
と、尋ねたとき、彼がこう答えたのを記憶しています。
「それは、警察は無茶な取調べをするけれども、裁判になれば無実が明らかに
なるはずだという思いがあったからだ。あの頃の裁判は、天皇の名によって
行われていたから、国民はみな、正義が通ると信じていた。
それに拘留中は辛かったけれども、戦争に行っている人のことを思えば我慢
できた。食い物だってあるし、タマも飛んでこないのだから兵隊にとられる
よりはずっとマシだと思っていた」
―――― 戦後の日本共産党においては、
「非転向」ということが勲章になっていました。つまり、逮捕されても思想を
捨てず、最後まで抵抗したという人が大きな顔をしていました。しかし考えて
みれば、この人たちが日本に入れようとしていた共産主義は、転向とか非転向
という言葉すら許さないイデオロギーであったのです。
スターリン時代の粛清の話を読むと、一枚の紙切れで逮捕され、裁判もなしに
直ちに銃殺された人が無数にいたという。おそらく逮捕に当たっては反革命と
いう罪状が一応はあったのでしょうが、彼らには裁判を受ける権利さえ許され
ていなかったのです。
日本の場合、警察で拷問を受けて死んだ人がいるのは事実です。
しかし、これは明確にしておきたいのですが、あくまで取り調べの過程でおき
た出来事で、共産主義国家のように最初から取調べもせずに死刑にされたのと
は、意味が違うという事です。
ソ連のような国家では、転向することも、非転向を貫くこともできない。
一度逮捕されたら、無罪を訴えることすら許されずに殺されてしまうのです。
そして、その数が膨大なのです。
転向や非転向などというのは、命があってこそ成り立つ話です。
戦後はいざ知らず戦前の日本共産党は、ソ連の指導によって日本をソ連のよう
な国家にすることを目的にしていたのです。
共産革命が起きたら日本がどうなるかは、昭和47年(1972年)2月の連合
赤軍事件を見ればよくわかります。わずか30人ばかりのグループが、なんと
12人の同志男女を虐殺していたのです。これは革命のミニ版です。
スターリンや毛沢東は、これと同じことを夫々の全国規模でやったのです。
=この稿つづく=
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┌──────────「気分は情報無限さん」
―― gosakuさんの自虐史観の枷を解く(2) 2003/12/12を読んで ――
毎回、自分の知らない知識や考え方を色々と勉強させて頂いておりますが、
投稿してこられる方々の文章も素晴らしいですね。
やはり「カメの甲より年の功」なのでしょうか!?
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┌──────────「gosakuさんから」
『気分は情報無限さん」いつもコメントありがとう御座います。
幾度も申し上げていますが、あくまで私見です。
異論もあってしかるべきです。
「極右」だというお方もおりますが、自分では中立の立場で書いているつもり
です。
いろいろなご意見をお待ちしています。
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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